京都東山、八坂神社と清水寺のちょうど中間。石畳の坂道を歩いていると、ふと視界が開け、重厚な五重塔が天へと伸びているのに気づく。
法観寺――通称「八坂の塔」。
創建は飛鳥時代にまで遡り、現在の塔は足利義教が1440年(永享12年)に再建したもの。
高さ46メートル、純然たる和様建築のそのシルエットは、幾百年もの京の歴史を静かに体に宿している。
海外からの観光客で賑わう東山でありながら、この塔の前に立つとき、旅人の時間は不思議と止まる。
ここは、京都という都市の「本質」が凝縮された場所だ。
千四百年の垂直――法観寺「八坂の塔」が語るもの

▲ 法観寺「八坂の塔」。高さ46メートル、本瓦葺の五重塔は国の重要文化財に指定されている。
法観寺の正式名は「霊応山 法観禅寺」。
臨済宗建仁寺派に属するこの寺の起源は、平安遷都よりはるか以前、飛鳥時代にまで遡る。
寺伝によれば崇峻天皇2年(589年)、聖徳太子が如意輪観音の夢告により五重塔を建立し、仏舎利三粒を奉納したことが始まりとされる。
2009年の発掘調査で7世紀の塼仏(せんぶつ)や礎石、古代瓦が出土したことから、その歴史的事実は確かなものとなっている。
「八坂の塔」と呼ばれる現在の五重塔は、幾度もの火災と再建を繰り返してきた。
治承3年(1179年)には清水寺と祇園社(八坂神社)の抗争に巻き込まれて焼失し、源頼朝の援助で再建。落雷による焼失を経て、1440年には室町幕府第6代将軍・足利義教の援助によって今の塔が完成した。
応仁の乱で他の伽藍がすべて失われるなか、この五重塔だけが焼け残り、以来600年近くにわたって東山の空に聳え続けている。
塔の高さは東寺・興福寺に次ぐ国内第3位の46メートル。
一辺6.4メートル、本瓦葺の和様建築は「白鳳時代の建築様式を今に伝える」と評される。
注目すべきは内部だ。
初層の内陣には五智如来像(大日・釈迦・阿閦・宝生・弥陀)の五体が安置され、色あせた豪華な壁画も残る。
さらに須弥壇の下には創建当初の地下式の心柱礎石が現存しており、歴代の塔がすべて同じ場所に重ねて建てられてきた事実を今に伝えている。不定期に公開される内部への拝観は、時間をかけて事前確認してでも訪れる価値がある。

清水寺から三年坂(産寧坂)を下り、二年坂へと続く石畳の道。道幅は狭いが、趣のある建物に魅了されてそれどころではない。
その途中で瓦屋根の隙間から塔頂の九輪がひょっこりと姿を見せる瞬間がある。
この「見え隠れする塔」こそ、東山散策最大の楽しみのひとつだ。
どの路地から眺めるか、どの時間帯に向き合うか――旅人の数だけ「八坂の塔」との出会い方がある。

夜の八坂の塔は昼とは全く異なる顔を見せる。
ライトアップされた五重の軒が漆黒の夜空に浮かび上がり、観光客の喧騒が引いた石畳の道をひとりで歩くとき、人はこの塔と静かに向き合うことができる。
古都京都の夜は、こうした「圧倒的な静けさ」を用意している。
宿にチェックインした後、夜の東山をひとり歩くことを、ここを知る旅人たちは口を揃えて勧める。
二寧坂と東山の街並み――保存された「大正」が息づく石畳の坂道
法観寺を中心に広がる東山の一帯は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。
産寧坂(三年坂)・二寧坂(二年坂)と続く石畳の坂道には、大正時代の数寄屋風建築が今も現役で使われており、みやげ物屋、茶屋、料理屋、宿などが軒を連ねる。
時代を問わず「京都らしい景観」として親しまれてきたこのエリアは、電柱が地中化され、看板のデザインや建物の色彩まで厳密な景観ガイドラインによって守られている。
この一帯を歩くと、京都の美意識の根本に触れることができる。
「引き算の美」とも言うべきそれは、派手な装飾を排し、素材と職人の技を静かに語ることで、見る者の感性を刺激する。
瓦屋根の連なり、格子窓から漏れる温かな明かり、苔むした石畳――どれも「見せようとしていない」ことで、かえって深く心に刻まれる。
世界で唯一、暖簾をくぐるスターバックス――「京都二寧坂ヤサカ茶屋店」

二寧坂の石段を歩いていると、一見するとスターバックスとは気づかない佇まいの建物が現れる。
藍色の暖簾、二階の壁面にひっそりと掲げられた木製のロゴ看板――「スターバックス コーヒー 京都二寧坂ヤサカ茶屋店」は、2017年6月のオープン以来、世界中の旅人を驚かせ続けている。
この建物は大正時代に建てられた築100年を超える京町家だ。
貸座敷として使われてきたこの建物の主屋と大塀は「産寧坂伝統的建造物群保存地区」の伝統的建造物に指定されており、特に大塀は二寧坂沿いでは唯一、当時のままの姿を保っている。
スターバックスはこの歴史的建築への敬意を最大限に示しながら、内部を現代のカフェとして再生させた。
暖簾をくぐると世界が変わる。
玄関先には枯山水の前庭があり、瓦の模様にはスターバックスのサイレン(人魚)のうろこが表現されている。
薄暗い「通り庭」を抜けてバーカウンターへと進む体験は、まるで町家に迷い込んだかのようだ。
二階に上がれば奥座敷があり、丹後ちりめんの座布団に座ってコーヒーを味わいながら、丸窓越しに二寧坂の石畳を見下ろすことができる。
西陣織と同じ技法で織られたファブリックや和紙のサイレンアートなど、京都の伝統工芸がさりげなく空間を彩っている。
メニューも価格も全国の他店と変わらない。
しかしここで飲む一杯のコーヒーは、おそらく生涯忘れられないものになる。景観保護のため行列は禁止、満席時は入場制限がある。
早朝8時のオープン直後か、平日の昼前が比較的訪れやすい。
「もしイタリアに京都という州があったら」――IL GHIOTTONE(イル ギオットーネ)

八坂の塔のすぐ隣、法観寺に寄り添うように建つ一軒家レストランが「IL GHIOTTONE(イル ギオットーネ)京都本店」だ。
オーナーシェフ・笹島保弘氏が2002年に東山に店を構えて以来、「京都発信のイタリアン」のパイオニアとして、食べログ イタリアン WEST百名店にも選出され続けている。そのコンセプトは明快かつ深い――「もしイタリアに京都という州があったら」。
この問いを料理で体現するため、京都の水、旬の京野菜、そして季節ごとに変わる食材を一皿に凝縮する。
古民家を改装した外観は周囲の東山の景観に溶け込み、内部は洗練されたモダンな空間へと一変する。白いリネンが敷かれたテーブルに着き、木箱で届く自家製パンとクラフトビールで乾杯する。窓の向こうには緑の庭が広がり、旅の疲れと高揚感が静かに解けていく。


コースは一皿ごとに驚きと発見を重ねていく。
生鮭といくらに京野菜を添えた前菜は、鮮度と季節感が皿の上で出会う瞬間だ。竹墨を纏った黒いコロッケとハーブの白い泡は、視覚と味覚の両方を刺激する。
白身魚には鮮烈なグリーンのソースが添えられ、緑豊かな東山の自然と響き合うかのような一皿になる。笹島シェフがローマで磨いた技術と、京都の水・土が育んだ素材が交わるとき、「唯一無二のイタリアン」という言葉の意味を実感できる。
ランチコースは約1万2千円から、ディナーは1万5千円以上。
完全予約制で、人気シーズンは数ヶ月前からの予約が必要だ。
八坂の塔という比類ないロケーションのもと、古都の空気とともに味わう一食は、旅の記憶の中でも別格の輝きを放つだろう。
IL GHIOTTONE(イル ギオットーネ)京都本店
住所:京都市東山区下河原通塔の前下ル八坂上町388-1
営業:ランチ 12:00〜14:00 / ディナー 18:00〜20:00(最終案内)
定休日:火曜日・不定休
公式サイト:ilghiottone.com
東山を旅する、上質な時間の設計図
法観寺「八坂の塔」を起点にした東山の旅は、京都という都市の奥行きを最も豊かに体験できる旅のかたちだ。
夜明け前に宿を出て、人気のない石畳を歩く。八坂の塔の前で、1,400年の歴史と二人きりになる時間を持つ。
朝のコーヒーは、暖簾をくぐって二寧坂ヤサカ茶屋店の座敷で一杯。清水寺・産寧坂・二寧坂と、坂道の高低差が生み出す風景の変化を楽しみながら歩き、夕刻には宿でゆっくりと休む。
そして夜、再び石畳に出て、ライトアップされた八坂の塔をひとりで見上げる。
締めはイル ギオットーネのコース。「もしイタリアに京都という州があったら」という問いが、皿の上で美しく解答される。京都の素材がイタリアの技法に出会う一皿を、古都の静寂の中で味わう。東山の夜は長い。そして惜しむほどに、深い。
京都を何度訪れても、東山が旅人を飽きさせないのは、この街が「深さ」を大切にしているからだ。表面をなぞるだけでは決して届かない場所に、本当の京都がある。法観寺の五重塔は、今日も静かにその事実を指し示している。
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